かとうたんの日常

日々の出来事に対する所感と考察を綴ります

秀逸な文章を書く人が好きだ。

 

昔から、美しい字と秀逸な文章に弱い。

 

思えば、今まで異性として惹かれた男性はほぼ例外なく達筆で、私には真似のできない文字を書く人々だった。

溢れ出る教養、気遣い、感性。

文字は他のどんなものよりも、書き出す「人」を語ると思う。

 

心の底から尊敬できて、こんな人になりたいとなりたいと感じる人は、皆分かりやすく的確な文章を書く。

文面から伝わる知性と他者への想像力は、直接本人と対話することで感じるそれよりも、よほど魅力的だと思う。

 

こんな具合に、達筆と上手な文章表現に対する私の贔屓具合は並大抵のものではない。

おそらく、「字を綺麗に書くこと」「分かりやすく人を虜にする文章を書くこと」は、私が幼い頃から意識的に取り組んでいることであり、他者を見つめる視点として無意識的に取り込まれているのだろう。

 

しかしかながら、表題にも記した「秀逸な文章」に限って言えば、そうそう出会えるものではない。

美しい文字も、分かりやすい文章表現も、多くはないがたまには見かける一方、心を揺さぶる圧倒的に秀逸な文章に出会うことはそれほどない。

文豪の著した小説の中には、身震いするほど美しい文章表現が含まれていることもあるが、だからこその名著であり、身震いするほどの「感動」を覚えるわけではない。

あくまで予期した感動だ。

 

私はいつしか、予期せぬ名文探しの旅に出ていた。

 

新聞社を受験しているのも、ある意味でこの旅の一環なのかもしれない。

新聞の紙面で光る文章表現を見つけた時の、全身に一気に電流が流れるような衝撃と感動。

一体どんな記者が、どんな人生を歩んで、どんな視点で物事を見つめたらこんなに卓越した表現が生み出せるのかと、本気で頭を抱えてしまう。

彼らに対する無条件のリスペクトが「自分もこんな世界に入ってみたい」という意思に繋がっているのかもしれない。

 

最近、新聞社の面接の際に「君の文章を読んでいると、文章を書くことが好きなのがよく伝わってくる」と言われた。

あまりの緊張でダメダメだった面接の終盤に予期せぬ言葉をかけてもらい、私は泣きそうになった。

 

今の私にはとてもではないが秀逸な文章は生み出せない。

それでも、昔からこだわりを持っていた文章表現をプロに褒められたことは、なんだか今までの人生を肯定されたみたいで、大きな自信に繋がった。

それだけでも、新聞社の選考会に参加した意義はあったと思う。

 

(1005字)